永田建設株式会社の創立者


  永田建設株式会社初代社長西村金蔵は、明治21年12月15日釧路市に生まれ、明治35年釧路第一小学校卒業、明治42年本庄中学校を経て早稲田商業を中退後、釧路倉庫株式会社の全身三上運送に勤めた。大正12年帯広支店勤務となり、大正14年野付牛支店(丸玉運送買収)の支配人として北見市に来住、昭和13年釧路倉庫株式会社取締役社長として、再び釧路市に転住、その間昭和2年野付牛運送車(鈴木宋竹社長)取締役、野付牛魚菜卸売市場(辰田清太郎社長)の取締役を務め、業界の発展に寄与した。昭和25年には永田建設株式会社を創立し、取締役社長に就任したが、昭和42年4月2日他界。妻キミは昭和29年3月16日他界。

永田星次

 二代目社長、永田星次は明治43年4月22日父甚作、母ハヨの次男として岩見沢市に生まれ、中学校時代優秀で、飛び級をして兄伸一と一緒に北海道大学に入学、当時の地元紙でも取り上げられた。昭和7年3月北海道大学工学部土木科を卒業、昭和7年4月道庁土木部に奉職、その後昭和製綱所工務部(満州)に転じ、昭和21年大成建設株式会社札幌支店を経て、昭和25年独立、永田建設株式会社を創立して専務取締役に就任、昭和30年取締役社長となる。誠実を旨とするも昭和63年4月29日他界、 妻麗子(初代社長西村金蔵の長女、大正5年4月29日生まれ)は昭和48年7月9日他界。
 

   三代目社長に刀田正夫、昭和63年に就任、現在に至る。

 

 

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